ぽこ あ ぽこ音楽教室 | 岐阜県羽島郡笠松町のピアノ教室/音楽教室

岐阜県のピアノ・音楽教室 ぽこ あ ぽこ音楽教室

指し示し、導く


「ピアノ講師はピアノだけ教えていればいい」
講師の中に、このようにおっしゃる方がいます。

「躾は家庭内でやるべきこと」
そうおっしゃる方がいます。


確かに、躾の基本は家庭です。
でも、父親や母親が、
子供の全てを把握するのは不可能です。
24時間監視でもしない限り。

私たち大人も、子供だったはずなのに、
大人になると、子供の頃の気持ちや、
自分の目で見ていたものを忘れてしまう大人が
あまりに多いように感じます。

子供は、大人が思っているより、はるかに賢く、
そして、敏感です。

少なくとも、私が子供の頃、
大人が思っているよりもずっと、
大人の考えを見抜いていました。


どんなに小さな子でも、
パパに見せる顔、ママに見せる顔、
おじいちゃんに見せる顔、おばあちゃんに見せる顔、
兄弟に見せる顔、
幼稚園の先生に見せる顔、
お友達に見せる顔、
習い事の先生に見せる顔、
本当にいろいろな顔を持っています。



私は、子供は親だけが育てるものではないと
思っています。

幼稚園や学校の先生
学校という小さな社会
地域の人々
習い事で関わる大人たち
そして、子供の周りに存在する仲間たち…


1対1という、濃密で、
しかも、比較的長期間に渡って
成長を見守ることができるピアノ講師というのは、
子供たちが関わる数少ない大人の中で、
かなり存在感の強い生き物だと思っています。

ですから、
「ピアノだけ教えればいい」とは思いません。


生徒を、我が子のつもりで関わっています。

我が子なら叱るのに、他人の子だと目を瞑ってしまう。
そういう先生にはなりたくないと思っています。

ですから、ピアノ以外のことも教えます。


そして、「ピアノだけを教える」のは、
実は、すごく難しいことだと思います。

なぜなら、音楽は、その人自身だからです。

生徒の中にあるものを引き出すのは、
相当な苦労が伴います。
生徒の中に、たくさんの引き出しを作るのも、
相当な年月が必要です。

そして、生徒の中から引き出したものでないと、
音楽にはならないのです。


先生とは、先を生きる人。
先生とは、指導的立場の人。
そして、指導者とは、
その生徒が行くべき道を指し示し、導く者。

知識や技術を表面的に教えることは
真の指導者ではないと思います。


私は、真の指導者になりたい。
今感謝されなくていいから、大人になってから、
「あの時、先生はこんなにも私のことを
 思ってくれていたのか」と
思い出してもらえる先生になりたい。


いつまでも、熱い先生でいたいです。

「しかる」ということ


最近の先生は叱らない、叱れない方も多いそうです。
叱った時や、叱った後の子供の反応が怖いそうです。

ピアノ講師の中には、
「叱ったら、ピアノを辞めると言い出すのではないか…」
と心配する方もいらっしゃいます。


確かに、叱るというのは難しいです。
褒めることより、ずっとずっと難しいです。


でも、私は叱ります。
大切な生徒だから、叱ります。
ステキな大人になって欲しいから、叱ります。
叱ってくれない人がたくさんいるから、叱ります。


私が子供の頃を振り返っても、
本当に叱ってくれる人は少なかったなと思います。

叱られたその時は辛かったけど、
やっぱり思い出すのは、真剣に叱ってくれた人たち。
そして、あの時叱られてよかったなと思います。


叱り方にも技やコツがあると思います。
私が大切にしているのは、3つのことです。

1つは、本人のために叱っていることを
本人が理解できるようにしてあげること。

1つは、具体的にどんな言動に対して、
なぜ叱っているのか、
理由や問題点を明確にすること。

1つは、ただ叱るだけではなく、
本人ができる解決方法を必ず導き出すこと。

この3つには常に気をつけています。


子供は、叱られているうちに、
なぜ叱られているのかが分からなくなります。

意識を遠のかせ、
大人のイライラが静まるのを待つという
防衛本能が自然に働く子が大半です。

ぽろぽろと涙をこぼしても、
しおらしく「ごめんなさい」と言っても、
心の中では、それほど深くは反省していない子が
大半です。

小さな頃から、
どうすれば、この不快な時間を短縮できるか、
子供たちは学習しているのです。

そして、この時間が去るのを、
それまで学習した方法を使いながら耐えるのです。


叱られ慣れている子の場合は、
特に、この傾向が強くなります。
そのため、私は、叱りながら、
いつも家で叱られているパターンを見抜き、
そのパターンから外れた言動をとり、意表をつきます。
すると、ハッとして、驚くほど、話を聞きます。

叱られ慣れていない子の場合は、
「叱られた」ことそのものにショックを受け、
「先生に嫌われた」と思い、
反省どころではなくなりますから、
なぜいけないかの説明は短めに、
これからどうしていくかを考える時間を長めにとります。


どの子にも気をつけているのは、
「叱るのは、あなたを大切に思っているから」
ということを分かってもらうことです。

「叱るのは大変なんだよ。疲れるんだよ。
先生だって、楽しくレッスンしたいんだよ。
先生は、あなたを叱らないこともできるんだよ。
あなたがどんな大人になってもいいわ〜、
ピアノが上手にならなくてもいいわ〜、っと思ったら、
先生は叱らないよ。
お父さんやお母さんもそうだよ。
叱ってくれる人は、
あなたのことを大切に思ってくれている人だよ。」と、
必ず伝えるようにしています。


私の両親は、そう育ててくれました。

「お前のことを叱ってくれる人が、お前の味方だよ」と。

私は、今でもこの言葉を大切にしています。

「ほめる」ということ


「叱るということ」について書いたので、
次は「褒めるということ」について書こうと思います。


私も褒められるのは好きです。
うま〜くおだててもらえると、喜んで人の倍働きます。

しかし、ただ褒められれば
気分をよくする人間でもありません。

自分にとって納得のいかない部分で褒められると、
「あ〜、この人、私のこと何も分かってないなぁ」
「あ〜、口先だけのお世辞ね」っと
思ってしまうところがあります。

大して努力してないのに褒められると、
逆に気分が悪くなって、
もっと努力しろと言われてるように感じます。


その人が、私を見て、
心から感じたことを言ってくれたり、
私という人間を理解した上でおだててくれないと、
相手に対する評価が下がってしまいます。


というわけで、やはり褒めるのも、
叱るのと同様、コツがあるように思います。
私が褒める時に大切にしているのは、3つのことです。

1つは、その人の持って生まれた素材を褒めること。

1つは、努力していることを褒めること。

1つは、理由なく褒めないこと。


まずは、その人をそのまま受け入れるということ。

人には、必ず、
その人の持つ魅力的な部分があります。

そこを見つけて褒めるのは、
最も基本的なことだと思います。

そして、一般的な概念にとらわれないことも
大切にしています。

一般的には、短所と言われる部分も、
私にとっては、長所であることがよくあります。

それに、どんなことでも、いい面と悪い面があり、
それは状況と相手によって、
受け取られ方が変わると思っていますので、
本人が気にしている部分も
「先生は、あなたのそういうところ、好きよ」と
伝えています。


しかし、どんなに素材がよくても、才能があっても、
磨かなければ、ただの石。
生徒たちには、努力することを強く推奨しています。

「あなたが、ピアノなんて上手にならなくてもいいって
言うなら、先生は練習しなさいとは言わないよ。
ピアノが上手になりたいなら、努力しなさい。」と
言っています。

いっぱい頑張れば頑張っただけ褒めます。
しかし、ほんの少し頑張っただけで、
すごく努力したと思いたい子、
思ってしまう子も多いです。

そんな子には、
「みんなに胸を張って、私は頑張ったって言える?
みんなに自慢できるぐらい頑張った?」と尋ねれば、
ちゃんと首を横に振ります。

不思議なものですが、どんなに小さな子でも、
自分の限界は心得ているものです。


そして、この「努力を褒める」ということには、
もう1つ重要な意味があります。

私の座右の銘の1つに
「努力すれば、成功するとは限らないが、
努力しなければ、成功はありえない」
というのがあります。

芸術的な分野に関しては、
小さな頃から、厳しい世界を味わうことになります。

学校の国語や算数のテストなら、
たくさん勉強して、ミスをしなければ満点が取れます。

しかし、音楽の世界は、ミスをしなかったからと
満点をもらえるわけではありません。

毎日何時間も練習したからと言って、
コンクールで1位がとれるわけではありません。

小さな子供たちが、
それを理解するのは本当に大変なことです。

特に「努力すれば報われる」と教わっている子、
認識している子が意外と多く、
そういう子に対しては、ケアが一段と難しくなります。

「間違えずに弾いたのに、どうして?」
「上手に弾けたと思うのに、どうして?」
「毎日練習したのに、どうして?」

そう尋ねられて困ってしまった保護者の方も
多いのではないでしょうか。


ですから、結果だけを褒めるようなことはしません。
結果を褒めすぎると、子供たちは、
過剰に「結果を出さなくちゃ」と思ってしまいます。

結果にとらわれない子になるよう、
いい結果が残せなかったら
諦めてしまう子にならないよう、
努力や過程を認め、褒めるようにしています。

ちなみに、さほど努力していないのに、
コンクールで賞をいただけた時は、
「今回はちょっとラッキーな受賞だったと思うよ」と、
伝えています

努力せずに得られたものを過剰に褒めると、
今度は努力しなくてもいいと思うようになります。


そして最後に、
叱るのも褒めるのも、理由が必要です。

他の人がどう思っているかは全く関係なく、
とにかく私自身が、どう感じたのか、
どういうところに称讃を送っているのかを
明確に伝える必要があると思っています。

時々「なるほど」とか「スゴイね」などとしか
言わない方に遭遇しますが、上辺だけに感じます。
どこが「なるほど」で、何が「スゴイ」のか、
結局分かりません。

私は、感嘆符や相槌のみではなく、
できる限り言葉にして、
感じたことを伝えるようにしています。

曲に花丸をつける時も、
「よかったよ」「上手だったよ」だけでなく、

「心の中で歌ってたね。ブレスもできてたし、
やっぱり、心の中で歌ってる時は、
ピアノの音も違うね!」

「気をつけることを、よく考えながら演奏できたね。」

「3拍子をよく感じて、軽やかに弾けてたよ。」
などなど、できるだけ具体的に伝えています。


子供たちは、褒められるのが大好きです。

でも、何かをしながら話を聞き、
「へ〜、すごいじゃな〜い」だけでは、
子供たちは寂しい想いを抱えます。

叱る時も、褒める時も、全力です。

ぽこ あ ぽこ


大きな一歩でなくてもいいから、
たまには一休みをしてもいいから、
少しずつ、少しずつ、歩みを進めていってください。

先生は、時に先の方から、
「早くおいで」とあなたを呼びます。

歌いながら、手をつないで歩くこともあります。

上り坂が辛そうな時は、背中を押してあげます。

転んだ時は、必ず駆け寄って、助け起こしてあげます。


そしていつか、先生の先を、
自分の足で、どんどん歩いていってください。


自信に満ち溢れた背中を見守る日がやってくるのを
楽しみにしています♪


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